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noteに入社しました 〜テルという男の物語〜

初めましての方も、久しぶりな方も、はたまた昨日ぶりの人もいるかと思いますが、久しぶりのnote更新となります(約1年以上ぶりです)。なぜ、更新するかというと、タイトルにも書きましたように、note株式会社に入社したからです。

自己紹介記事とは

まずは、noteでは自己紹介記事を書いてみようというオススメがあります。
それなのに自己紹介記事も書かず、年1回のペースで取り止めもないことを書いてしまってるので、改めて自己紹介を書いてみようと思い立った次第でした。今回はnoteに入った理由がお話し出来れば嬉しいです。その前に、私の半生を反省しながら皆さんにご紹介。

長橋輝(てる)について

長橋 輝(ながはし あきら)
学生時代は、スポーツに明け暮れる日々を送ってました。
小学校は空手、中学校〜高校は陸上競技(短距離)、大学はアルティメット。と生活の側にはスポーツと競技者という意識がありました。
その後、社会人になり日之出出版で、ファッション雑誌の広告営業を今年の4月までしていました。そして、5月21日より、notenに入りました(びっくりしたことに入社日は、noteを初めて3年の記念日でした)。ちょっとだけ詳しく書きますが、僕のことが嫌いな人はここで記事を閉じましょう。

空手時代

小学生の時に初めて習ったスポーツが空手です。いきなり武道じゃねえかというツッコミ大歓迎です。黒帯の有段者なのが運転免許以外の密かな資格です。あと何故か、月刊空手道という、空手の競技者が読む雑誌の巻末4コマ漫画に登場したことがあります。

陸上時代

中学校で陸上競技と出会い、短距離を中心に高校卒業まで続けました。中学1年生の当初は、100mが15秒後半というタイムでした。これは、下手したら同期の女の子よりも遅いタイムでした。ですが、身体の動かしかた、パフォーマンスの調整、といったことを自分で考えながら練習をしてタイムが伸びるということに快感を覚えました。結果として、高校3年生時には11秒前半といった高校の陸上選手の平均くらいまでにタイムを伸ばすことが出来ました。あと、何故か中高ともにキャプテンでした。

アルティメット時代

1年間の浪人を経て大学に入学後、陸上部に入る気が満々だったのですが、こっそりと見学に行った競争部の当時3年の山縣亮太選手の練習風景を見て、「ここまで真剣になれない」とアッサリ走ることから逃げました。
「陸上以外のスポーツはすることもないかな」と思いながら、大学入学後のキャンパスライフを2ヶ月ほど過ごしていた僕の目の前に、訳がわからないスポーツが突然現れたのです。それが、アルティメットです(馴染みのない方は、手前味噌ながらテルのイケてるプレー集でも見てください)。

フリスビーを投げながら芝生を走って飛んでいる、なんとも素っ頓狂なスポーツなんですが、これがやってみると何とも面白いわけです。まず、陸上部のイメージ通り、テルは球技がクソほど下手なのですが(サッカーをすればドリブルでボールを追い越してしまいます)、アルティメットは大学生から始める人が9割以上なので、みんな最初は投げるのが下手なんです。なので、とりあえず走れるテルはそれだけで1歩リードした気になり(ホントはそんなことなかったのですが、本編からは逸れるので本日は割愛)、この競技を始めることにしました。4年間、フリスビーを追いかけ、日本1を目指しておりました。あと、何故かキャプテンでした。

出版社時代

こんなにスポーツバカが、なぜ出版社に入りファッション雑誌の広告営業をすることになったのか不思議なかたも多いと思います。それは、こんなにスポーツ一筋みたいな感じですが、テルの学生時代の唯一の趣味がファッション雑誌だったんです。本格的に手を出したのは、中学3年生の時になります。ジャージとかスパイクでパンパンなエナメルバッグに、不似合いな「FINEBOYS」とか「CHOKi CHOKi」とか「smart」とか「MEN'S NON-NO」とかを突っ込んでいました。ひどい時は、練習のセット間に読んでたかも(セット間というのは、例えば200mを3本3セット走る場合、セットごとの休憩時間ですね)。ファッションが好きだったものの、部活が第1優先で洋服をあまり買うことが出来なかったから、雑誌を読んで自分が着た気になって楽しんでました。
走ることでは1流になれないことを悟り、フリスビーでは仕事にならないこと思ってたので、就活をして働くなら好きなことが良いなという安直な考えで出版社を受けて、日之出出版に拾って頂き、新卒として入社しました。
当初は、いわゆる花形の編集部を希望して入社をしたのですが、結果としては広告営業に配属されちゃったわけです。最初は凄く嫌だったんですが、今ではめちゃくちゃ良かったと思ってます。それは、大きく3つの理由があります(広告マンぽくしてみました)。

①雑誌というビジネスを考えるようになったこと
ファッション雑誌というのは、大きく分けて2つのページと2つの収益でなりたってます。編集ページと広告ページ、販売収益と広告収益です。ただ、出版物の流通数や書店数が毎年減少を続けてたり、各社の雑誌の広告費予算も減少が続く中で、従来通りのやりかたでは立ち行かなくなっています。また、意外に思われることも多いのですが、出版社や書店の一存ではどの本をどのくらい置くか卸すか、といったことが決められないという現状もあるんです。こういった背景から、従来の雑誌ビジネスでは雑誌を発刊し続けることが出来なくなっている中で、新しいあり方を模索するには「編集」という立場で雑誌と関わるよりも、「広告営業」として雑誌の稼ぎ方を考える立場になれたことで、雑誌の未来を考えるようになれました。これは、個人的には凄くありがたいことでした。

②何だかんだ、営業が性根に合ったこと
性格的には営業があってたと感じました。色んな人と会って、色んな話をすることは苦じゃないどころか、楽しめて好きなようです。働く前は、人見知りだしコミュ障だと思ってたので営業に苦手意識がありました。が、経験したことが無いからなだけだったようです。先日、久しぶりに会った大学時代の後輩に、喋られるようになってて驚きました、とお褒め頂きました。

③ファッションを盛り上げようとしてる人たちに出会えた
色んな立場から、色んな考えを持って、ファッションを盛り上げようと志す人に沢山出会うことが出来ました。そのおかげで、自分なりの雑誌論が形成されていったので、色んなお話を聞くことが出来たのは、良い経験でした。また、同世代で雑誌の広告営業という人はそんなに多くないので、そういう意味で希少な経験も会社にはさせてもらえたと思ってます。

雑誌を離れたわけ

色んな思いから4年間、雑誌をビジネス側から経験したわけですが、離れた理由についてもお話ししたいと思います。

雑誌の魅力・素敵なところ
まず、僕が思う雑誌の素敵な機能は「カルチャーの誤配」です。誤配というのは、好きな哲学者の東浩紀さんが使っている言葉です。すごい雑にいうと、「たまたま」とか「意図しない」みたいな感じです。(違くても、僕がそう思ってるので、そういうことにしてください)

「は?」みたいな人も多いと思うので、ここで8月号のPOPEYEを例にご説明します。8月号のPOPEYEは「なにはともあれ、いい音楽が必要だ。」がテーマです。今、このテーマに関心を持った人って、音楽が好きな人、今聴いてる音楽に飽き始めた人、サブスク始めた人、とかだと思います。

実際、本号の中身の7-8割は音楽についてなんですが、雑誌の編集者は「複数のタネを1つの串に纏めてコンテンツにする」ということを意識しているので、他のカルチャーが雑誌には介在してくることが多いんです(僕はそんなエスパーみたいなことできません)。

雑誌という場所は、読み手が意図していなかったカルチャーと出逢いやすい場所になると思います。そうすると読み手の中に、カルチャーの衝突が起こりやすくなります。今月号のPOPEYEだと、音学×映画、音楽×ファッションみたいな。加えるなら、ロックが好きな人がテクノに出会うこともあれば、HIPHOPが好きな人がアニソンに出会うことも誤配の一つ。

新しいカルチャーの誕生は、既にあるもの同士の足し算引き算掛け算割り算だと思っていますので(ここは今日は割愛)、カルチャーの衝突が、その算数や計算の引き金となり、新しいカルチャー、まだ世界にないカルチャーが生まれるようになると思います。そういうわけで、雑誌は新しいカルチャーが生まれやすい、と僕は思ってます。ただ、そのパワーは確実に弱まっています。

今の雑誌がおかれてる状況
前述したように、雑誌ひいては本は昔に比べて売れなくなっています。その理由は大きく2つあると考えています。1つ目は、わかりやすい白黒が求められていること。2つ目は、情報が溢れすぎていること。です。

1:わかりやすい白黒が求められているとは
個人的には物事って白黒つかないグレーなことがあると思うし、なんならグレーなことばっかで、グレーのグラデーションで世の中は溢れてると思ってます。
ですが、「それやると何がいいの?」「それ必要なの?」「要するに?」みたいな言葉よく耳にしませんか?
それが良いのか悪いのか、必要なのか不必要なのか?と白黒つける、そしてそれをすぐに決断しようとする、ビジネスでも私生活でもあると思います。そして昔よりも、白黒つけることをすぐに求められるようになったと思います。それは、人がずっと繋がったからです。いうまでもなく、SNSの登場によって。ずっと繋がっているということは、常に答えなきゃいけないんです。仕事をして会社を出ても、LINEがくる、ツイートしてもメール返信しろと怒られる、など活動してるなら答えろとなるわけですね。ですが、昔は繋がっていなかった。するとどうなるかというと、内省の時間が生まれるわけです。自他に問わずに。内省をすると悩むわけです。悩むと良いのか悪いのか、白か黒かわからなくなる。そうすると、グレーな部分を考えて、濃度を考えるようになるんですね。そして、取り敢えず置いとく。そうやって昔は、グレー(あいだ)が寛容されていた。
ここまでだとグレー(あいだ)の良さを話さないままになってしまいますね。危ない危ない。白黒つけるというのは「決断」するということだと思います。個人的には「決断」するということは、逃げていることだと思うんです(最終的には決断するんですが)。つまり、「決断」した時点で「決断」しなかったことを考えなくなるんですね。ですが、グレーでい続ける限り、白も黒も考える。そうすることで、深みが生まれるんじゃないか、と思ってるんです。

2:情報が溢れている
続いて、情報が溢れているということについては周知の事実だと思うので詳細は省きます。インターネットの普及で情報発信ができる人が増えてなんちゃらというやつです。情報量が増えて誰でも簡単に情報を拾えるだけでなく発信することができるようになったら、わざわざ本屋さん行って本を買う、Amazonでポチるなんてめんどくさいですよね。しかもお金をかけて。

だから何?
雑誌は、色んな雑多な情報をごちゃ混ぜにしていて、かつお金をかけて買わないといけないんです。そんなめんどくさいこと、普通はしたくありません。ですが、グレーでお金をかけなきゃいけない情報にこそ価値が私はあると思ってます。ですが、同じ形のままでは世の中に置いていかれてしまいます(何ならもう置いてかれ始めてる)。

で、どしたの?
そんな状況を変えるべく雑誌業界の中で自分なりに動いたわけですが、なかなかピンとこないまま4年間が経ちました。そして、何となく雑誌業界に染まりつつある自分に気がつきました。このままでは見失ってしまうと思うようになりました。そこで「外在性」という選択肢をとることにしました。これまた違う捉え方をしている可能性もありますが、これは山梨県の形を知る方法は2つあるという話です。1つ目は山梨県の県境を見ればいいですね。2つ目は、東京都、神奈川県、埼玉県、静岡県、長野県を見る方法があります。つまり、雑誌業界のことを知るため、その隣接する業界に行けば良いと思うようになりました。今まで見えなかった視点で、その業界を見直すというイメージです。

noteとの出会い

もともとnoteは年に1回くらいの頻度で利用してました。自分には、重めに考えたこと感じたことが1年に1回くらい発生する傾向があり、その吐口として利用していました。が、昨年末から今まで書いたことを考え直しているタイミングで、ひょんなことから働く場所としてnoteを意識するようになり、色々と調べるようになりました。会社のことを細かく書き始めると、この倍くらいになってしまいそうなので、詳細は避けます。ですが、思っていることが前に進みそう、新しく考えることが出来そうと思い、面接をさせて頂いたところ、ご縁があり、入社することになりました。

今は何をしているか

noteにはnoteproという企業がオウンドメディアをするためのサービスがあります。前職の「営業」という能力を活かして、日々いろんな会社のいろんな人と、お話をさせてもらっています。そんな日々の業務とは別に、ファッション雑誌の新しい形が何かということをユルユル考えながら、まだ何も出来ていません笑
まだ、新しい営業のスタイルに戸惑ったり、デジタルネイティブな世界観に追いつけなかったりしておりますが、今まで書いたことを忘れずに頑張って生きていきたいと思います。


最後に

久しぶりに真面目なことを書きましたが、本当にテキトーな人間です。気ままに生きてく中で、こんなことが出来たらいいなと思ってるていどです。走って、本読んで、酒を飲んで、好きな人や友達と笑って、過ごせればそれだけで人生は最高です。生きてるだけで丸もうけ。今後とも、みなさまよろしくお願いします。

参考文献




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